間取りだけでは暮らし方は決まらない|Paul A. Bellの環境心理学

Paul A. Bellの肖像と『ENVIRONMENT DOES NOT DETERMINE US/環境は人を決めない』を配したORIGINアイキャッチ

環境は、人の行動を変えます。

扉がなければ壁の向こうへは進めず、座る場所があれば人は腰を下ろせる。

音や光、温度、距離、家具の向きも、そこで何をしやすいかに関わります。

ただし、環境が人の行動を一方向に決めるわけではありません。

同じリビングでも、家族が集まる日があれば、一人で過ごしたい夜もあります。

設計者が「会話のための場所」と名づけても、住人はそこで仕事をし、子どもは床へ玩具を広げ、椅子の向きを変えて窓の外を見る。

環境から人へ向かう力と、人から環境へ返る働きが同時にあるからです。

Paul A. Bellを筆頭著者とする『Environmental Psychology』第5版は、この往復を一冊の出発点に置いています。

本書はBellの単著ではなく、Thomas C. Greene、Jeffrey D. Fisher、Andrew Baumとの4名共著で、2001年にWadsworthから刊行された環境心理学の教科書です。

Bell一人が新しい標語を発明したのではなく、知覚から住宅設計までの多くの研究を、環境と行動の関係として編み直しています。

この本は、設計の力を弱く見積もれと説いているのではありません。

私が受け取ったのは、人を思いどおりに動かす力と、望む行動を支える力を混同しないための線引きです。

目次

人と環境を、二つに切り分けない

『Environmental Psychology』の第1章は、舞台と舞台装置の比喩から始まります。

舞台の広さや設えは、登場人物の歩行・接触・滞在を左右する条件です。

環境は行動の背景ではなく、行動を理解するための文脈であり、できることと難しいことの境界でもあります。

現実の暮らしが舞台と違うのは、人が用意された場面を演じるだけの存在ではない点です。

Bellらは、環境が人へ影響する一方、人の行動も環境を変えると書いています。

人が歩いた跡に道ができ、椅子を動かせば会話の距離が変わり、使われない部屋は別の役割へ置き換わる。

ダイニングの椅子を窓辺へ動かし、住人が環境へ働き返す場面

部屋の広さや配置だけを調べても、人と環境の往復は分かりません。

Bellらは、その環境を人がどう受け取り、そこで何をし、さらに空間をどう変えていくかまでを、一つの関係として捉えました。

この見方は、家を引き渡し時点の完成品として扱う発想と衝突します。

図面が完成し、壁と床と設備が納まっても、住人が使い始めるまで、その家がどのような場所になるかは確定していません。

人は部屋から影響を受けながら、家具や照明、物の位置、家族との距離を調整し、部屋の意味を更新します。

第2章が場所を「物理的な設定と、そこで行為する人とのやり取り」として捉えるのも、同じ理由です。

modernovaも、人と環境を切り離さないこの見方を採用します。

この見方を住宅設計へ移すなら、竣工写真の美しさだけでは評価できません。住人が家具や照明を動かし、暮らしに合わせて空間を変えられるかまで確かめる必要があります。

決定論・可能論・確率論を分けて考える

環境が行動へ及ぼす力を整理するために、Bellらは気候と行動を扱う第6章で三つの見方を並べています。

determinism、possibilism、probabilismです。

見方 環境の働き 住宅へ移したときの読み方
決定論 環境が特定の行動を原因づける この間取りなら、人はこう行動する
可能論 環境が行動できる物理的な範囲を開き、または閉じる 扉は通行を可能にし、壁は通行を止める
確率論 環境が、ある行動の起こりやすさを上げ下げする 座席の向きや距離が、会話の始まりやすさを変える
Bellほか『Environmental Psychology』第6章の整理を、住宅設計の判断へ翻訳。

この三つは、優れた一つを選んで残りを捨てる分類ではありません。

Bellら自身、行動の領域によって適用の度合いが異なり、三者は必ずしも排他的ではないと注意しています。

壁のような物理条件は、通れるかどうかを強く制約します。

一方、ダイニングテーブルを置けば家族が必ず会話する、照度を落とせば誰もが落ち着く、とまでは言えません。

家具配置や光の分布は行動の起こりやすさを変えても、その日の目的、関係、体調、経験まで消すことはできないからです。

確率として考える設計は、効果を曖昧にする逃げ道ではありません。

何を物理的に可能にし、何の起こる見込みを高め、どこから先は住人の選択として残すのかを分けるための、精度の高い見方です。

modernovaは、設計の力をこの位置へ戻します。

強制できないから設計に意味がないのではなく、強制せずに暮らしを支えられるところが設計の価値です。

同じ環境でも、同じ反応にはならない

人が環境をそのまま受け取らないことは、第3章の環境知覚にも表れています。

Bellらによれば、人は期待、経験、価値、目的を携えて環境へ入る存在です。

目に入る物理的な手がかりが同じでも、何を重要とみなすか、その重みづけは人によって違います。

山道の茂みから同じ音を聞いても、危険な動物を想像する人と、小さな動物だと判断する人がいる。

住宅でも、広い一室を自由だと受け取る人がいれば、居場所を選びにくいと感じる人もいます。

閉じた個室が安心につながる家族と、隔てられている感覚につながる家族もいるはずです。

明るい共有域と静かな奥まった居場所が一つの住空間に共存する様子

個人空間を扱う第8章では、心地よい対人距離が、活動や相手との関係、文化、性格によって変わると整理されています。

距離は近すぎても遠すぎてもよくなく、固定した一つの寸法から親密さを導くことはできません。

第9章が物理的な高密度とcrowdingの経験を分けている点も見逃せません。

面積に対して人数が多い状態は測れますが、圧迫や行動制約の程度は、退避場所・視線・音・人間関係・状況によって変わります。

広さは無関係ではありません。

面積だけで経験の全体を言い切れない、という順序です。

モデルハウスで整って見えた空間を、自分の家へそのまま移しても同じ経験にならない理由が、ここにあります。

そこに置かれる物だけでなく、誰が、何を目的に、どのような記憶を持って使うかが変わるためです。

modernovaは、環境の物理条件と住人の受け取り方を、どちらか一方へ還元しません。

図面で条件を整えた後にも、知覚と使い方の差が残ることを設計条件として数えます。

建築は行動を支えられるが、台本にはできない

第11章でBellらは、建築と行動の関係を直接扱います。

architectural determinismは、建築環境が中にいる人の行動を直接形づくるという考え方です。

極端な形では、物理環境が行動の唯一、または主要な原因になります。

Bellらが紹介するFranckの批判は、この見方では設計の現実を十分に説明できないというものでした。

第一に、物理環境を重く見すぎると、社会的・文化的な意味を小さく扱ってしまいます。

本書の例は、ほぼ同じ建物でも「大聖堂」と呼ばれる場では声が抑えられ、「集会ホール」として使われると振る舞いが変わるというものです。

形が同じでも、場所に与えられた意味と、その場にいる人の合意が違えば行動も変化します。

可動家具が複数の使い方を受け止める多目的な家族室

第二に、決定論は複数の環境条件が組み合わさることや、間接的な作用を見落としやすい。

光・音・面積を個別に操作できる実験と違い、実際の家では視線・温度・家具・関係・生活時間が重なる現実です。

第三に、人を環境から影響されるだけの受動的な存在として扱うことになります。

住人は設計意図に従うだけでなく、使いにくい場所を避け、別の用途を与え、家具や物で環境を作り替える主体です。

本書が示す着地点を、私は次のように読みます。

設計は特定の行動を支え、起こりやすくできる。ただし、その行動を確実に決めることはできない。

Bellほか『Environmental Psychology』第11章の要旨

これは、建築の力を否定する言葉ではありません。

通路の幅、扉の位置、座る向き、光を調整できる範囲は、行動を妨げもすれば助けもします。

ただ、その力を人の台本を書く権限へ広げない。

modernovaは、この節度を設計の弱さではなく、住人を正式な主体として扱うための強さとして採用します。

住宅には、選択と変更の余地を残す

決定論を離れた設計は、何も決めない設計ではありません。

Bellらの議論を住宅へ戻すと、choice、control、flexibility、congruenceという四つの条件が見えてきます。

choiceは、その場で複数の行動を選べることです。

一緒にいられる場所だけでなく、会話から一度離れられる場所がある。

明るく作業できる状態と、光源を絞って休める状態を切り替えられる。

親密さは近づけることだけで成立せず、必要なときに距離を戻せる選択まで含みます。

controlは、住人が環境へ働き返せることです。

第4章では、騒音を止められるボタンがあると知らされただけで、実際には押さなくても悪影響が減った実験が紹介されています。

物理量が同じでも、自分で変えられる見通しが反応を変えた例です。

住宅なら、調光や建具、カーテン、換気、家具の移動が環境への応答手段になります。

flexibilityは、現在の要望を将来まで固定しないための余地です。

第11章では、可動間仕切り、調整できる照明、動かせる家具、個人が自分の周囲を微調整できることが例に挙げられています。

可動部を増やせばよい、という話ではありません。

家族構成や身体、仕事、生活時間が変わったとき、固定したつくりが大きな不適合を生む場所に変更の経路を残す考え方です。

可動間仕切りによって居間と静かな作業場所を切り替えられる住空間

congruenceは、環境と、そこで必要とされる行動との適合を指します。

第12章は、プライバシーを部屋や扉で調整する家族と、物理的な区切りに頼らず関係の中で調整する家族を比べています。

同じ住宅設計で、異なる家族の両方を満足させることはできないという結論です。

ここから導けるのは、家族を類型へ押し込むことではありません。

誰がどの距離を必要とし、何を一緒に行い、どの時間に離れたいかを読み、その関係に合う空間を探すことです。

modernovaは、形の正解より先に、この四条件を設計の確認項目として採用します。

住人が環境へ返事をできる家は、完成後の変化を設計の外へ追い出しません。

modernovaは何を採用し、何を採用しないか

modernovaがBellらから採用するのは、環境と人を一方向の因果で結ばない考え方です。

物理環境は行動の可能性を開閉し、起こりやすさを変える。

人はそれを経験や目的を通して読み、自分の行為で環境を変え返します。

この往復を設計対象に含めることは、空間の形と住人の主体性を同時に扱うための枠組みです。

choice、control、flexibility、congruenceも採用します。

ただし、調整機能を増やすこと自体は目的にしません。

操作箇所が増えすぎれば、費用、故障、管理、判断の負担も増えます。

変更できる価値が大きい場所を見極め、固定する部分と動かせる部分を分ける必要があります。

採用しない読み方も明確です。

「環境は人を決めない」を、環境には力がないという意味では使いません。

壁は通行を止め、危険な段差は身体を制約し、制御できない騒音は負担になります。

安全・構造・温熱・音・光といった物理条件を軽く扱えば、住人の自由は増えず、選択肢が減ります。

住人の希望を聞けば正解が得られる、という解釈も採りません。

言葉になった要望は現在の一場面であり、将来の身体や家族関係まで完全には表せないからです。

聞き取りに加え、行動の観察、複数案の比較、利用後の確認、変更経路の用意まで必要になります。

Bellらの一冊を、すべての住宅判断に答える最新の万能書としても扱いません。

本書は2001年までの広い研究を編んだ教科書であり、取り上げられた研究には対象、時代、文化、施設条件の違いがあります。

modernovaが重視するのは個別結果の無条件な一般化ではなく、条件を分け、住人を主体として数え、因果を急がない読み方です。

環境は人を決めないから、設計には責任がある

「環境は人を決めない」という一文は、設計者を自由にする免責ではありません。

人を決められないからこそ、設計はどの行動を可能にし、何を難しくし、誰の選択を残したのかを問われます。

標準の寸法へ住人を合わせるのか、変わる身体を住人として数えるのか。

家族を一つの空間へ集めるだけでなく、つながる自由と離れる自由を同時に用意するという選択があります。

高価な部品を置けば空間の価値が決まると見るのか、素材、光、距離、使い方の関係が整っているかを確かめるのか。

Bellらの環境心理学は、これらの問いへ直接の正解を配りません。

代わりに、環境を原因、人を結果として固定する前に、可能性・確率・知覚・選択・変更という変数を戻します。

modernovaの判断記事がこの本から引き取るのも、特定の間取りや部品ではありません。

住人を設計の結果として扱わず、環境へ働き返す主体として数える判断です。

設計は人の台本を書きません。

それでも、扉をつくり、距離を整え、光を切り替えられるようにし、別の行動へ移れる経路を残せます。

人を決めないことと、何も決めないことは違う。

その間にある仕事こそ、住宅設計だと私は考えています。

参考文献

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