平均的人間は存在しない|Julius Paneroの人体寸法論

Julius PaneroのORIGINアイキャッチ「平均的人間は存在しない」

棚の高さ、廊下の幅、椅子の奥行きなど、住宅には「標準」と呼ばれる寸法が数多くあります。

標準寸法は設計の出発点として役立ちますが、その数値どおりにつくっても、棚へ手が届かない、食卓の後ろを通れない、椅子に座ると足が床につかないという問題は起こります。

Julius PaneroとMartin Zelnikは、1979年の『Human Dimension & Interior Space』で、こうした問題を人体寸法と実際の動作から検討しました。

本書の重要な指摘は、複数の平均値を組み合わせても、現実に存在する一人の身体にはならないということです。

目次

人体寸法を室内設計の判断材料にした二人

『Human Dimension & Interior Space』はJulius PaneroとMartin Zelnikの共著で、Whitney Library of Designから1979年に刊行されました。

Julius Paneroを主に取り上げますが、本書の内容をPanero氏一人の仕事として扱うことはできません。

二人は、軍事や産業分野で蓄積されたanthropometry(人体計測)のデータを整理しました。

そのデータを、住宅や職場、店舗、医療施設、公共空間の設計に使える資料として体系化したのです。

目的は、人体を一つの理想的な比例で表すことではありません。

異なる身体の人が棚へ手を伸ばし、椅子に座り、扉を開け、通路を通れるかを設計段階で確かめました。

「平均」は、一人の身体を表していない

平均身長は集団の傾向を示しますが、その人の肩幅や腕の長さ、座高、手の大きさまで平均になるとは限りません。

身長は平均に近くても、腕は長い、座高は低い、肩幅は広いという組合せはあり得ます。

Panero氏とZelnik氏が指摘したaverage-person fallacy(平均的人間の誤謬)とは、別々に算出された平均値を組み合わせ、実在する標準的な一人の身体として扱う誤りです。

第50パーセンタイルは、測定した集団を小さい側と大きい側に半分ずつ分ける位置です。

この値だけで棚の高さを決めると小さい側には届きにくくなり、通路幅を決めると大きい側には狭くなる可能性があります。

身長だけでは、椅子の寸法を決められない

作業台や収納の高さを考えるとき、利用者の身長は有効な情報ですが、身長だけでは椅子の高さや奥行きまで決まりません。

椅子では、床から膝裏までの高さ、臀部から膝裏までの長さ、座ったときの肘の高さなどを別々に確認する必要があります。

座面が高すぎると小さい人の足が床につかず、座面が深すぎると背もたれへ腰を寄せた状態で膝裏の余裕が失われます。

反対に座面が浅すぎると、大腿部を十分に支えられません。

背もたれ、肘掛け、机の下面はそれぞれ別の身体寸法と動作に関係するため、一つの身長だけでは判断できない部分です。

さらに、衣服や靴によって同じ人でも必要な幅や高さが変わるため、人体寸法は測定時の姿勢や服装によって変わる数値です。

届く高さと、通れる幅は同じ基準で決めない

本書は、reach(手が届く範囲)を確かめるときは小さい側の人を、clearance(身体や物が収まるために必要な幅)を確かめるときは大きい側の人を基準にする考え方を示します。

高い棚を腕の長い人に合わせると腕の短い人には届かず、通路を身体の小さい人に合わせると身体の大きい人や荷物を持つ人には狭くなりかねません。

したがって、平均値へ一律に合わせるのではなく、その場所で何をするのかを決め、最も不利になる利用者を確認します。

身長の異なる二人が可動棚の届く高さを確かめる収納モックアップ
棚の高さは、腕の長い人ではなく、届きにくい人を基準に確認します。

ただし、第5パーセンタイルや第95パーセンタイルも、すべての住宅に適用できる固定値ではありません。

どの範囲の利用者に対応するかは、用途、安全性、費用、実際に使う人によって変わります。

特定の家族が使う住宅では、統計値だけを見るより、本人の身体寸法と使い方を確認した方が適切な場合もあります。

必要な広さは、使用中の動作で決める

何も置かれていない通路の幅だけを測っても、実際に使用するときの必要寸法は分かりません。

椅子は後ろへ引かれ、引き出しは前へ出て、冷蔵庫の扉は開き、人は身体をひねったり荷物を持ったりして移動します。

ダイニングでは、椅子に座っている人が立つための範囲と、その後ろを別の人が通るための範囲を同時に確認する必要があります。

椅子を引いた着座者の後ろを別の人が通る食卓の動作確認
食卓の周囲は、椅子を引く動作と人が通る動作を重ねて確認します。

これは、すべての場所に大きな余白を設けるという意味ではありません。

扉の開く向きを変える、引き出しの位置をずらす、通路を椅子の背後から外すなど、動作の重なりを減らせば、面積を増やさずに衝突を避けられる場合があります。

利用者は、住む人だけではない

住宅の寸法を住人だけに合わせると、掃除や点検、介助、来客に必要な動作を検討できません。

ベッドの周囲では寝具を整える人が動き、設備収納には工具を持った作業者が入り、玄関では荷物を抱えた家族や来客も利用者です。

場所ごとに、主に使う人、同時にいる人、掃除や修理をする人を分けます。

その上で、誰が何を開き、どちらへ動くのかを確認します。

現在の住人だけでなく、けがや加齢によって立位で使えなくなる場合も検討が必要です。

将来の身体を正確に予測することはできないため、棚の位置や使い方を後から変えられる仕組みが現実的な備えになります。

固定寸法で合わないなら、調整できる仕組みにする

小さい人と大きい人の両方に一つの固定寸法で対応できないときは、adjustability(調整可能性)が有効です。

高さを変えられる椅子や作業面、位置を変えられる棚は、利用者が変わるたびに建築を壊さずに寸法を合わせられます。

固定値を中間にすると全員が少しずつ使いにくくなる場合がありますが、調整範囲があれば、それぞれの身体に合わせられます。

ただし、可動部を実際に操作できるか、動かした後も脚や通路の幅を確保できるかまで確認が必要です。

調整可能性は複雑な機械だけを指すのではなく、棚受けの位置を変えられる、取手を後から移せる、机の下に座った人の脚が入る空間を確保するといった方法も含みます。

立位と座位の二人が高さ調整できる作業台を同時に使う室内
一つの固定値に合わせるのではなく、利用者ごとに高さを調整します。

人体寸法表は、設計の答えではない

本書には大量の人体寸法図が掲載されていますが、Panero氏とZelnik氏は、それらをそのまま使える完成済みの設計解として扱わないよう明記しています。

図表は、身体寸法を設計時に検討するための参照資料です。

原典は、経験則やメーカーの推奨寸法を根拠を確かめずに使う危険を指摘していますが、人体寸法表も設計者の判断を置き換えないというのが二人の立場です。

身体が収まる最小幅を確保しても、相手との関係や文化によって近すぎると感じることがあります。

反対に距離を広げすぎると、会話や共同作業がしづらくなります。

人体寸法は必要条件ですが、それだけで使いやすい空間になるとは限りません。

立位と座位では、目の高さが違います。

そのため、窓や画面、照明、収納扉の位置を一つの視点だけで決めるのは不十分です。

1979年の数値を、そのまま現在へ移さない

人体寸法は、測定した時代や集団によって変わります。

本書が利用したデータには軍事分野で集められたものが多く、子どもや高齢者、障害のある人のデータ不足は著者たちも認めた限界です。

したがって、原書のインチ値をセンチへ換算し、日本の住宅へそのまま適用すれば、本書の考え方と矛盾しかねません。

現在の設計では、対象者に合う新しい資料や個別計測を使い、必要に応じて実物大模型や利用者による確認を組み合わせます。

法令が定める最低条件と、利用者が実際の動作を完了できる条件も分けて考える必要があります。

住宅寸法を決める前の四つの検証

Panero氏とZelnik氏の考え方を住宅へ使うときの確認点は、次の四つです。

  1. 対象者を決める。現在の住人に加え、子どもや来客、介助者、作業者も必要に応じて含めます。
  2. 確認する動作を分ける。手が届くか、身体や物が収まるか、見えるか、姿勢を変えられるかを別々に検討します。
  3. 同時に起こる動作を確認する。扉、椅子、引き出し、人の通過が重なった状態を平面と断面で確かめます。
  4. 後から高さや位置を変えられるようにする。利用者が変わったときに、棚、作業面、建具の一部を調整できるようにします。

標準寸法は出発点であり、最後は実際に使う人が手を伸ばせるか、座れるか、荷物を持って通れるかを確かめます。

modernovaは何を採用し、何を採用しないか

私が本書から受け取ったのは、標準寸法を捨てるという主張ではありません。

標準値を初期案として使い、実際の利用者と動作に合わせて確かめ直す手順です。

modernovaが採用するのは、棚なら届きにくい人、通路なら身体が大きい人や荷物を持つ人を見るように、目的ごとに確認対象を変える考え方です。

また、家族構成や身体が変わる可能性に備え、固定寸法だけで解決できない場所には、後から調整できる仕組みを検討します。

採用しないのは、平均値を一人の標準的な身体として扱うこと、すべてを最大寸法に合わせること、寸法表を見ただけで設計判断を終えることです。

大きくつくれば解決するのではなく、誰が、どの姿勢で、何を持ち、同時に何が動くのかを確認した上で必要寸法を決めます。

可動棚と腰掛けと引戸を備え多様な身体へ調整できる住宅の玄関
玄関では、棚へ手を伸ばす動作、座る動作、荷物を持って通る動作を分けて確認します。

設計で確認すべきなのは平均値そのものではなく、その場所を実際に使う人が手を伸ばし、座り、荷物を持って通れるかです。

参考文献

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