部屋の印象は光の分布で決まる|Flynn が実験で示したこと

ORIGIN John E. Flynn|量ではなく分布(Distribution, not quantity.)

「照明で部屋の印象が変わる」。

インテリアの世界で、聞かない日はない言葉です。ただ私は長いあいだ、この言葉を半分は営業トークだと思って聞いていました。

照明を変えれば雰囲気が変わる。光で空間が変わる。部屋が広く見える。落ち着いて見える。高級に見える。

本当にそうなのか。印象という曖昧なものが、光だけで、しかも誰にでも起きる形で変わるのか。

その疑いに、実験で答えた研究者がいます。アメリカの照明研究者、John Flynn です。

1970年代、Flynn は一連の実験でこの問いを正面から検証しました。私は Gary Gordon の教科書『Interior Lighting for Designers』でこの研究に出会い、「照明で印象が変わる」という言葉が、ただの売り文句ではなく、再現性のある観測事実なのだと知りました。

ここで重要なのは、Flynn が「良い器具を使えば部屋がよく見える」と言ったわけではないことです。彼が見ていたのは、器具のブランドでも、デザインでも、価格でもありません。

光がどこから来て、どの面に載るのか。

どこを明るくし、どこを暗くするのか。

つまり、光の分布です。

日本の住宅照明では、いまだに「何個つけるか」「何畳用か」「何ルクスあるか」という話に回収されがちです。ところが Flynn の実験が示したのは、部屋の印象を動かすのは、光の量だけではないということでした。

印象は、光の分布で動く。ここから、照明計画の見方は変わります。

目次

同じ部屋・同じ家具・光だけ変える

同じ部屋・同じ家具のまま照明だけ変えた対比図(均一な拡散光と、下方の光だまり+壁の光)

Flynn の実験の美しさは、その禁欲的な設計にあります。

彼は一つの部屋を用意しました。家具も、内装も、部屋の大きさも変えない。変えるのは、照明の条件だけです。

天井からの下方照射を弱くする。壁だけを照らす。天井全体からの拡散光を弱くする。あるいは強くする。下方照射と壁照射を組み合わせる。すべてを重ねる。

そうして六通りの光の条件をつくり、被験者たちに、それぞれの光の下で部屋の印象を評価させました。

結果は、一貫していました。光の条件だけで、人々の印象は系統的に動いたのです。しかも、その動き方は人によってばらばらではなく、互いによく一致していました。

動いた軸は、大きく三つあります。

広さの印象。明瞭さの印象。快さの印象。

Gordon はこの実験群を紹介する前提として、ひとつ重要なことを書いています。同じ環境への反応は人によって違っても、光への反応は人どうしでよく似ている、ということです。

ここが決定的です。

印象というと、すぐに「好みの問題」にされます。落ち着くかどうかは人それぞれ。広く感じるかどうかも、明るい方が好きか暗い方が好きかも、人によって違います。

もちろん個人差はあります。しかし、光への反応には、人間に共通する傾向がある。

だから照明は、趣味の話だけでは終わりません。設計の変数になります。

Flynn の六つの条件を眺めると、これは器具の比較実験ではないことが分かります。変えているのは、器具の格ではありません。光がどこから来て、どの面に載るかです。

同じ量の光でも、床に集めるのと、壁に広げるのとでは、人の言葉が変わる。周囲の壁が明るい条件では、部屋はより広く、より明瞭だと評価されました。

つまり、広さの印象を握っていたのは、床面積だけではありませんでした。部屋の縁がどう光り、壁がどのように立ち上がって見えるか。空間の周辺が、どれだけ読めるか。

そこが、広さの感覚を動かしていたのです。

ここは住宅照明にそのまま刺さります。

部屋が狭く感じる。圧迫感がある。明るいはずなのに、どこか重い。

そのとき、日本の住宅ではすぐに家具の量や間取りの問題に向かいがちです。もちろん、それらも関係します。とはいえ、その前に疑うべきものがあります。

壁は明るさを返し、部屋の縁は見えているか。光が床だけに落ち、天井の中央だけが明るく周囲が沈んでいないか。

部屋の印象は、物の配置だけで決まるのではありません。光がどこに分布しているかで、大きく変わります。

正確に言えば、光の量も無力ではありません。量を上げれば、「明るい」「くっきりした」「広い」という評価は動きます。

ただし、動かなかったものがあります。快さです。

天井からの光の量を増やしても、快さの評価はほとんど動かなかった。この切り分けが、後で効いてきます。

物が同じなら、部屋は同じ。そう思いがちです。

ところが Flynn の実験は、それを否定しました。部屋という体験のかなりの部分は、物ではなく、光の分布に載っている。

この実験は、その事実を初めて数字の裏付けつきで示したものだと私は読んでいます。

顔が読める部屋は「公」になる

顔が読める明るさは公の空間、顔が沈む暗さは私の空間になるという対比図

三つの軸の中で、私がもっとも面白く読んだのは、明瞭さの話です。

Flynn は、人の顔がはっきり見える照明ほど、その空間は「公的」に感じられ、顔が読みにくい照明ほど「私的」に感じられることを示しました。

これは、とても重要です。

家の中の公私は、間取りだけで決まるのではありません。ドアで区切るかどうか。部屋名がリビングか、寝室か。そういう話だけではない。

人の顔が、どれくらい読めるか。そこでも、公と私の感覚は変わります。

考えてみれば当然です。

顔がよく見えるということは、表情も仕草も読み取り合えるということです。それは、人と人を近づけ、同時に匿名性を奪います。

反対に、影とシルエットは、互いの表情を隠します。すぐ隣にいる人でさえ、少し遠くなる。

レストランの奥まった席。ホテルのラウンジの薄明かり。バーのカウンター。

あの親密さは、内装の高級さだけで生まれているのではありません。まず、顔の読めなさが効いています。

Gordon 自身も、人の顔がどう見えるかほど重要なものはない、と言い切っています。そしてこれを、実務の道具として言い直す。

混み合った空間では、人と人を物理的な距離で隔てることはできない。それでも光でなら、視覚的に隔てることができる。ラウンジや上質なレストランの照明は、この技術を常用している。

私はこの視点を、住宅にも持ち込みたいと思っています。

家族が集まる場所。一人に戻る場所。会話する時間。黙る時間。来客を迎える時間。夜に自分へ戻る時間。

これらは、間取りだけでなく、顔の見え方で設計できます。

同じリビングでも、光を切り替えれば、集まる部屋と黙る部屋を往復できます。

夕食の時間には、顔が読める光がいる。会話のための明るさがいる。互いの表情が見えることが、その場を「公」に近づける。

一方で、夜遅くのリビングには、顔を読みすぎない光があっていい。表情を少し隠し、輪郭だけを残し、視線の圧を弱める。それが、その部屋を「私」に戻していく。

日本の住宅照明は、この切り替えが弱い。朝も夜も、団らんも一人の時間も、同じ明るさで処理しすぎています。

家の中には、公の時間と私の時間があります。それを光で分けないから、部屋の印象が一日中同じになってしまうのです。

均一な光は、快さの点で負けた

光の分布で広さ・明瞭さ・快さの三つの印象が変わることを示す三軸の概念図

もうひとつの発見が、快さの軸です。

Flynn の被験者たちは、天井全体から均一に降る拡散光よりも、下方に絞られた不均一な明るさのほうを高く評価しました。友好的で、感じが良く、社交的で、興味深い、と。

これはかなり重要です。

均一な光は、明瞭ではあります。見やすい。影が少ない。情報が拾いやすい。

それでも、快いとは限らない。

ここで、日本の住宅照明に残る悪い癖が見えてきます。

失敗したくないから、均一にする。暗いと言われたくないから、全体を明るくする。影を嫌う。ムラを嫌う。天井から部屋全体をまんべんなく照らす。

その結果、明瞭ではあるが、気持ちよくない空間ができる。

これは、リチャード・ケリーの光の三要素 で言えば、包む光だけの家の限界を、実験の言葉で確かめたような結果でもあります。

包む光は必要です。しかし、それだけでは空間は動きません。そこに焦点の光や、きらめきや、暗さとの対比がなければ、部屋はただ均されていきます。

しかも Flynn の実験では、天井からの光の量を増やしても、快さの評価はほとんど動きませんでした。

快さに効いたのは、量ではなく分布です。

さらに、壁面への光を加えると、広さ、明瞭さ、快さの三軸すべてで評価が上がりました。ここから分かるのは、床を照らす発想しかない照明計画が、いかに損をしているかです。

部屋を明るくしたいなら、床だけを見てはいけない。作業面だけを見てはいけない。壁がどう見え、部屋の周縁がどう立ち上がっているか。人の視界の中で、どの面が明るさ感を支えているか。

そこを見なければ、空間の印象は変わりません。

Gordon はこの文脈で、変化のない環境そのものの問題にも触れています。

単調さは退屈を招き、気分を沈ませる。晴天でさえ、続きすぎれば飽きる。

これは住宅にもそのまま当てはまります。

どんなに明るくても、どんなに整っていても、光の条件がずっと同じなら、空間は単調になります。朝も、昼も、夕方も、夜も。家族が集まる時間も、一人で沈む時間も。ずっと同じ光なら、その家は照明の上では一日中同じ部屋です。

働く場所では、休憩の場所にだけ対比ときらめきを効かせ、光の条件の切り替えそのものを変化の資源にする、という処方も紹介されています。

光の変化は、それ自体が快さの資源です。

これは、modernova がずっと重視している「家に時間性を与える光」にもつながります。

照明は、ただ明るさを確保する設備ではありません。時間を切り替える装置です。

朝の光。昼の光。夕方の光。夜の光。

団らんの光。作業の光。一人に戻る光。眠りへ向かう光。

これらを同じ明るさで処理してしまうなら、その家は時間を持てません。

色だけでは印象は決まらない

光の配り方(拡散/きらめき)と色(暖色/寒色)の掛け合わせで印象が変わる2×2の概念図

Flynn は、光の色でも同じ種類の実験をしています。

白い光の色味のうち、青白い光は明瞭さの印象を押し上げる。暖かい光は、快さと寛ぎを支える。

ここまでは、直感どおりです。

昼白色はすっきり見える。電球色は落ち着く。多くの人が、感覚的に知っていることです。

ただ、重要なのはここからです。

配り方と色を掛け合わせると、印象は思わぬ方向へ動きます。

拡散した光に暖色を重ねると、緊張や不安の側に振れる。拡散した光に青みを重ねると、沈んだ、どんよりした印象に傾く。逆に、きらめきのある光に暖色を合わせれば、遊び心と陽気さが生まれる。きらめきに青みを合わせれば、幻想的な印象が生まれる。

つまり、快さを作っていたのは、色だけではありません。量だけでもありません。

配り方と色の掛け算です。

ここも、日本の住宅照明ではよく間違えられます。

落ち着かせたいから電球色。明るくしたいから昼白色。作業したいから昼光色。

もちろん、それは入口としては間違っていません。とはいえ、それだけでは足りない。

同じ電球色でも、天井全体から均一に降るのか、壁に柔らかく載るのか。テーブル上に絞られ、床近くに重心を下げ、小さな輝きとして点在するのか。

それによって、印象はまったく変わります。

色温度だけを選んでも、部屋の印象は設計できません。配り方と一緒に考えて、はじめて色は効きます。

住宅でこれを使うなら、答えは明快です。

家の中の光の条件が、朝も夜も、団らんも独りの時間も、ずっと同じなら、その家は照明の上では一日中同じ部屋です。

調光で量を下げるだけでは、分布が同じなので、印象の軸は大きく動きません。暗くはなる。その一方で、部屋の性格までは変わりにくい。

夜は壁の光を消して、下方の光だまりに絞る。来客の日は壁を照らして、公の顔にする。一人で過ごす時間は、顔を読みすぎない低い光へ寄せる。作業の時間は、手元に明瞭さを与える。

分布の切り替えこそが、部屋の切り替えです。

照明計画で本当に決めるべきなのは、器具の数だけではありません。どの時間に、どの光の分布へ切り替えるかです。

modernova はどこを採用し、どこを採用しないか

modernova が Flynn の実験から採用するのは、まず「印象は光の分布の関数である」という実証済みの土台です。

部屋が狭く感じる。暗く感じる。落ち着かない。単調に感じる。明るいのに居心地が悪い。

そうした訴えに対して、私はいきなり間取りや家具を疑いません。まず、光の分布を疑います。

床ばかり照らし、壁が沈み、顔が読まれすぎていないか。すべての面が同じように明るくなっていないか、時間によって光の条件は切り替わっているか。

この順序には、半世紀分の実験の裏付けがあります。

「顔の見え方で公私を設計する」という視点も採用します。

ダイニングの団らんと、リビングの静けさを、同じ明るさで括らない。来客の時間と、家族だけの夜を、同じ光で処理しない。作業する場所と、黙る場所を、同じ顔の見え方にしない。

誰の顔が、どれくらい読めてほしい時間なのか。そこから逆算して、光を決める。

これは住宅照明にとって、非常に実践的な視点です。

顔が読める部屋は、公になる。顔が読みにくい部屋は、私に近づく。

この感覚を持っているだけで、リビングの照明は大きく変わります。

一方で、採用しないこともあります。

Flynn の結果を、「不均一なら何でも快い」と雑に一般化することです。

不均一な光が快く働くのは、それが意味のある序列を作っているときです。乱雑な明暗が、そのまま快さになるわけではありません。

ただ暗いだけ。ただムラがあるだけ。ただスポットが散っているだけ。ただ間接照明を足しただけ。

それは、設計された不均一ではありません。

快さを生む不均一とは、主役と背景が整理されている状態です。見るべきものが浮かび、見なくていいものが退く。顔を読む時間と、読まない時間が切り替わる。壁が広さを支え、床の光だまりが落ち着きを作る。

そういう意味のある分布だけが、空間の印象を整えます。

また、実験のスキームや数値の詳細をそのまま住宅に持ち込むこともしません。住まい手が持ち帰るべきなのは、実験手順ではありません。

「物を動かす前に、光を動かせ」

この一行です。

模様替えをしたくなる。家具を買い替えたくなる。壁紙を変えたくなり、もっと広い部屋がほしくなる。

その前に、光の分布を見るべきです。

壁は照らされ、顔は読みすぎず、夜の光は低くなっているか。明るさの重心は時間に合わせて動き、部屋の印象を器具のオンオフだけで固定していないか。

部屋の模様替えでいちばん大きく動く家具は、実は照明です。

Flynn の実験を、私はそう翻訳して覚えています。

照明で部屋の印象が変わる。これは営業トークではありません。ただし、器具を変えればいいという話でもありません。

変えるべきは、光の分布です。

どこを照らし、どこを照らさないか。どの面で広さを支え、どの光で顔を読み、どの暗さで私に戻るか。

そこまで決めたとき、部屋の印象は本当に変わります。

なお、何を見せて何を退かせるかという主従の設計は、影が主役を決めるという考え方 で掘り下げています。

参考文献

  • Gary Gordon『Interior Lighting for Designers』:本記事が Flynn 研究を参照した引用元。
  • John E. Flynn, “A Study of Subjective Responses to Low Energy and Nonuniform Lighting Systems,” Lighting Design + Application, February 1977.
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